自死遺族になり。

地元を離れ、頑張っていたはずの息子の突然の自死。

担当の先生が。


先日、病院に行って来ました。


もう一月も半ばになり、

暖冬とはいえ、寒い日も増えて。



気持ちが堕ちてきていて…


今回 は担当の先生に会いたくて

ちゃんと先生のいる日に行きました…



…なのに。


先生が退職されていました…


ちょっと…いや、かなり 

動揺してしまいました。



結局、他の先生に薬を出して貰いました。



裕太が逝ってしまってから

もう6年になります。


夜も眠れず

動悸やめまい、

時には泣きながら診察を受けた

あの先生が居ない…



どうなるんだろう…

他の先生に担当が変わる…



私、大丈夫かしら。


先生もお歳を召してらしたので

体調の面から退職されたらしいので

仕方ないのですが…


不安しかない…





3人のうち…



先日、

息子と近所に買い物に。



そこで

息子の同級生のお母さんに偶然。


小学校から中学校まで

同じチームだったので

お母さんも顔見知り。


旦那の通夜の際にも

ご夫婦揃って、

息子さんまで一緒に

来てくれました。



これは、

後から聞いた息子の話ですが。




情けない事に

たくさんの方に見送りに来て頂いて、

まだ大学生だった息子の同級生も伴い、来てくださる皆様に 

本当に感謝したのですが…



当の私は、

普通の通夜とは違うので

喪主としてじっと座っているのではなく

来て下さった皆様に

挨拶をして回っていて…




皆様に挨拶をしたつもりなんですが、

正直、あまり記憶がないのです。



裕太の事を知った時、

3日3晩全く眠れず

その時の記憶がほぼない。



それと同じように

1月31日夜、病院から電話があったあの時から


旦那の火葬が終わり

自宅に戻って花を飾り終えるまでの記憶が

まだ1年経っていないのに

曖昧なんです。


いつか

私がいなくなった後、

子供達があんな思いをしないように

出来るだけ準備しておきたい。




今、

強くそう思う。




息子が

友達のお母さんに


もう3人のうちの

誰がいなくなっても

自分が保たない。


と、

言っているのを聞いて…





私は尚更だよ。


もうこれ以上、

誰を見送るのも本当に無理。






亡き息子が生きてた!




家の中が
何故かぐちゃぐちゃになっていて

仏壇も普段の位置にはなく、
運び出そうとしたような…

息子と娘が現れて
パニックになっている私を見て
にやにやと笑っている。

携帯から音が鳴り続けていて
私が携帯をぐちゃぐちゃになった部屋で
探すのですが
出て来ない。

あった。
と思うとそれは
破壊されたパパの携帯、
また音を頼りに探すのですが

今度もまた
以前使っていた壊れた携帯。


そんな私を子供2人は
黙って見ている。


やっと見つけた。
と思ったら
携帯の音は消え、
何故か姉や妹、
現長男が現れた。


その最後に現れたのは

裕太だった!
何やってんの。
って
笑ってる。


パニックだった私は
何故が気持ちが
落ち着いて
すんなり裕太が生きている事を
受け入れてる…


それまで
家の中がぐちゃぐちゃで
仏壇までが酷い状態でパニックだった事

携帯の音にイライラしていた事

全てがどうでも良くなって


生きていたんだね。
と本当にすんなりと
何を聞く訳でもなく、
 
生きていた事を
受け入れて…



今までが夢だったんだ。



って
思ったら
目が覚めた…



夢だった。



うなされながら
目が覚め、
でも
裕太が優しく笑っていた顔が
嬉しかったな…