自死遺族になり。

地元を離れ、頑張っていたはずの息子の突然の自死。

とりとめのない話

今日も、一日終わりました。




年金の決定が来てから

あんまりちゃんと見ていなかったけど、

今日、まじまじと見てみた。



…すると、

障害認定日が…令和1年になってた。


今、3年だよな…と自分の中で確認。

カレンダーを見て、確認。



なんと、

遡って認定して貰えた…

一応、初診日から一年半後からの申請にしますね。

と、言われてあんまりよくわからないけど、

はい。と答えた。


年金事務所の人も遡っては、

難しいかもしれないですけど、 

念のため。

みたいな感じだったので、

全然、期待してなくて

申請したのが今年に入って

一月の終わりだから、一月からだったら

ラッキー!くらいに思っていたんです。


それが一年半も遡ってくれるなんて

すごく立派なお位牌が作れちゃう。


…と同時に

私、頑張ってたんだ。

って、思った。



時々、すごく仕事に行きたくなかったり、

仕事の最中にパニック起こしたり 

それでも、今辞めたら

もう、自分がダメになっちゃう気がして

意地で仕事に行ってた。


なんだか、それが

報われた気分。


実際には全然そうではないけど。




認定日が令和1年って事は、

私、今市県民税の滞納で、

やっと平成30年のが終わって

これで差し押さえも終わりだと

喜んでいたら、新たに

令和2年の市県民税が追加されてた。


そしたら、

これって、認定日の後だから、

障害者の減税ってのがあるらしいので、

減税してもらえるのかな???



税金って、全く疎くて

よくわからないのですが、

障害者控除ってのがあるらしい。 


日本って、徴収する事には

有無を言わさず…  

なのに、控除だとか制度が有っても

その制度については

こちらから聞かないと教えてくれない。 

払わなければ、

個人の銀行口座も調べるくせに。



なんだか不公平だよな。って思う。



裕太を連れて帰って来た時も

千葉に住民票があるから

私が千葉に滞在して

お骨にして帰れば良かったのだけど、

結局、静岡まで連れて帰って来たので

車代だけで、30万だったし。

それも、教えて貰えたら少しは考えたかもしれない…


ん。

いや、

裕太をちゃんと裕太の姿のまま

父に会わせられたのだから

それはないけど、

選択肢としてはある。と知っていて

結果、裕太を裕太のまま連れて帰る選択をしたかったな…



まあ、もう済んでしまった事だし、

多分、私は連れて帰るの一点張りだったから、

誰も私にそんな情報教える隙もなかったんだとも思うし。



なんだか、また

とりとめのない話になってしまったけれど、

結局、裕太は居ない。

あれから、3年生きていたら

どんなおじさんになっていただろうな。



私が子供を産んだ時に

子供が大きくなったら

一緒に呑むのを楽しみにしていたんだけど、

結局、ちゃんとお店で呑んだのって

数回しかなくて。

もっと、もっと話したかったよ、

裕太。